わたしの「客観」、みんなの「客観」

わたしたちが「客観的」を使いたくなるのは、どんなとき?

時に、「正しさ」の代名詞のように使われる「客観性」。 でも、「客観的」な判断に、モヤモヤすることもしばしば。

そもそも、「客観的」って、どんな状態のことでしょうか? その中身は一つに決まるでしょうか? そして、わたしたちはいつ、「客観的」な情報に頼りたくなるのでしょうか?

皆さんの身近な経験を起点に、一緒に考えてみませんか。

[2023年度 五月祭にて展示]